2008年03月26日
アメリカ貧乏旅行8日目、ニューオリンズ
1981年2月22日、ルイジアナ州ニューオリンズに着きました。
ルイジアナという名前の通り、元々はフランスの植民地で、後にアメリカ合衆国に
編入された地域です。
町並みは、一部フランスの面影が残っています。その一帯をフレンチクオーターと
呼びます。
バスディーポに到着して、宿泊する安ホテルを探してまずチェックインしました。2日
間夜行バスで移動しているのでちょっと疲れがあります。シャワーを浴びて、市内を
歩いてまわりました。フレンチクオーター、ミシシッピ川のほとりを散歩していったん
ホテルに戻りました。
これまでの旅は、大した食事をしていませんでしたが、ニューオリンズでジャンバラヤ
を食べることを楽しみにしていました。実は、このときまで「ジャンバラヤ」がどういう
料理かわかりませんでしたが、その昔カーペンターズの曲で「ジャンバラヤ」というタイトル
があったので、ニューオリンズではジャンバラヤを食べることにきめていました。
夕食後、街中を散歩していると、昼間のゆったりした雰囲気とは変わり多くの人通り
でにぎわっていました。結構都会の雰囲気です。ちょうど、ニューオリンズは、マルディグラ
というお祭りの時期であったようで、賑やかなのはそのせいだったかもしれません。
ジャズを聴かせてくれるお店でビールを飲み、ほろよい気分でホテルに戻り、朝までぐっすり
眠りました。
そんな思い出がいっぱい詰まったニューオリンズですが、2005年のハリケーン「カトリーナ」
の被害で街の8割が水没するという甚大な被害を受けてしまいました。
グーグルマップで、ニューオリンズの被害の様子を見てショックを受けたことを覚えています。
続く
ルイジアナという名前の通り、元々はフランスの植民地で、後にアメリカ合衆国に
編入された地域です。
町並みは、一部フランスの面影が残っています。その一帯をフレンチクオーターと
呼びます。
バスディーポに到着して、宿泊する安ホテルを探してまずチェックインしました。2日
間夜行バスで移動しているのでちょっと疲れがあります。シャワーを浴びて、市内を
歩いてまわりました。フレンチクオーター、ミシシッピ川のほとりを散歩していったん
ホテルに戻りました。
これまでの旅は、大した食事をしていませんでしたが、ニューオリンズでジャンバラヤ
を食べることを楽しみにしていました。実は、このときまで「ジャンバラヤ」がどういう
料理かわかりませんでしたが、その昔カーペンターズの曲で「ジャンバラヤ」というタイトル
があったので、ニューオリンズではジャンバラヤを食べることにきめていました。
夕食後、街中を散歩していると、昼間のゆったりした雰囲気とは変わり多くの人通り
でにぎわっていました。結構都会の雰囲気です。ちょうど、ニューオリンズは、マルディグラ
というお祭りの時期であったようで、賑やかなのはそのせいだったかもしれません。
ジャズを聴かせてくれるお店でビールを飲み、ほろよい気分でホテルに戻り、朝までぐっすり
眠りました。
そんな思い出がいっぱい詰まったニューオリンズですが、2005年のハリケーン「カトリーナ」
の被害で街の8割が水没するという甚大な被害を受けてしまいました。
グーグルマップで、ニューオリンズの被害の様子を見てショックを受けたことを覚えています。
続く
2008年03月22日
アメリカ貧乏旅行7日目、テキサス州サンアントニオ
1981年2月21日の朝、サンアントニオに到着しました。
前夜テキサス州のエルパソをグレイハウンドバスに乗り出発、夜通し走っても
まだテキサス州です。
サンアントニオにある有名な建物は、ある程度の年の方なら一度はきいたことが
ある「アラモの砦」でしょう。ジョン・ウェインの映画「アラモ」は見たことはありますが
時代背景を全く知らずに見ていました。
ですから、当時はテキサスはメキシコの領土であったことも、そこから独立してテキサス
共和国になったことも全く知りませんでした。
ちゃんと歴史を勉強して旅行に来ていたらもっといろんな楽しみがあったと思うと残念
です。
サンアントニオでは、アラモ砦を見学し、市の中心にある川沿いの散歩道(パセオデルリオ)
を歩きました。パセオデルリオは、ヨーロッパにありそうなオシャレな散歩道で、一段低く
流れている小川の両脇が歩道になっていてカフェやレストランでゆったりくつろげます。
ここ数日、アリゾナやニューメキシコ、テキサスなど荒野を旅行してきたので、パセオデルリオ
のような都会的空間は気が休まります。
日中サンアントニオで過ごして、今夜もまたグレイハウンドで移動です。次の目的地は、
ルイジアナ州のニューオリンズです。
バスで移動する旅にも、だいぶ慣れてきました。このバスは白人も黒人も利用しますが、黒人は
大抵バスの後部席にのります。白人は入口付近、運転席に近い方にのります。人種差別の
意識があるんでしょうか。よくわかりません。イエローはどこいらにのったら良いんでしょうか。
最初はそのような暗黙のルールを知りませんでしたので前方にのっていましたが、このころは
中ほどにのるように気をつけるようになりました。
大きな地図で見る
続く
前夜テキサス州のエルパソをグレイハウンドバスに乗り出発、夜通し走っても
まだテキサス州です。
サンアントニオにある有名な建物は、ある程度の年の方なら一度はきいたことが
ある「アラモの砦」でしょう。ジョン・ウェインの映画「アラモ」は見たことはありますが
時代背景を全く知らずに見ていました。
ですから、当時はテキサスはメキシコの領土であったことも、そこから独立してテキサス
共和国になったことも全く知りませんでした。
ちゃんと歴史を勉強して旅行に来ていたらもっといろんな楽しみがあったと思うと残念
です。
サンアントニオでは、アラモ砦を見学し、市の中心にある川沿いの散歩道(パセオデルリオ)
を歩きました。パセオデルリオは、ヨーロッパにありそうなオシャレな散歩道で、一段低く
流れている小川の両脇が歩道になっていてカフェやレストランでゆったりくつろげます。
ここ数日、アリゾナやニューメキシコ、テキサスなど荒野を旅行してきたので、パセオデルリオ
のような都会的空間は気が休まります。
日中サンアントニオで過ごして、今夜もまたグレイハウンドで移動です。次の目的地は、
ルイジアナ州のニューオリンズです。
バスで移動する旅にも、だいぶ慣れてきました。このバスは白人も黒人も利用しますが、黒人は
大抵バスの後部席にのります。白人は入口付近、運転席に近い方にのります。人種差別の
意識があるんでしょうか。よくわかりません。イエローはどこいらにのったら良いんでしょうか。
最初はそのような暗黙のルールを知りませんでしたので前方にのっていましたが、このころは
中ほどにのるように気をつけるようになりました。
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続く
2008年03月20日
アメリカ貧乏旅行6日め、国境を越えメキシコへ
エルパソからリオグランデ川を渡ると、メキシコのシウダートファレスという町に入ります。
1981年2月20日、エルパソのホテルをチャックアウトし、大きな荷物はバスディーポに
預け、Dパックに貴重品につめてファレスの町に行きました。
橋を渡る途中、道の両側にはお金をせびる小さい子供たちが大勢いました。今はどうか
分かりませんが、当時のメキシコは大変貧しい国で、リオグランデ川を渡って不法にアメ
リカに入国するメキシコ人が後を絶ちませんでした。
ファレスの町はほこりと排気ガスが充満していて、アメリカからの観光客相手の店が立ち
並んでいて、活気がありました。
メキシコ土産といえば、銀や革製品、トルコ石のアクセサリー、ポンチョなどが有名です。
客引きが「アミーゴ」とか放送禁止になりそうな日本語で私に声をかけてきました。誰か
が変な日本語を教えたんでしょう。
綿の刺繍が入ったシャツとトルコ石のネックレスを買い、エルパソに戻りました。
2日間ホテルに泊まってすっかり元気になったので、今夜はまたバス泊です。エルパソから
サンアントニオに夜出発します。
続く
1981年2月20日、エルパソのホテルをチャックアウトし、大きな荷物はバスディーポに
預け、Dパックに貴重品につめてファレスの町に行きました。
橋を渡る途中、道の両側にはお金をせびる小さい子供たちが大勢いました。今はどうか
分かりませんが、当時のメキシコは大変貧しい国で、リオグランデ川を渡って不法にアメ
リカに入国するメキシコ人が後を絶ちませんでした。
ファレスの町はほこりと排気ガスが充満していて、アメリカからの観光客相手の店が立ち
並んでいて、活気がありました。
メキシコ土産といえば、銀や革製品、トルコ石のアクセサリー、ポンチョなどが有名です。
客引きが「アミーゴ」とか放送禁止になりそうな日本語で私に声をかけてきました。誰か
が変な日本語を教えたんでしょう。
綿の刺繍が入ったシャツとトルコ石のネックレスを買い、エルパソに戻りました。
2日間ホテルに泊まってすっかり元気になったので、今夜はまたバス泊です。エルパソから
サンアントニオに夜出発します。
続く
2008年03月19日
アメリカ貧乏旅行4日、5日め~エルパソ
1981年2月18日、エルパソに到着しました。
サンフランシスコから2晩続けてバス泊なので、疲れがたまっています。
エルパソでは、ホテルに2泊しました。「地球の歩き方」で探したホテルを
尋ね、部屋が空いているか確認し2泊予約しました。1泊9ドルのところを
「地球の歩き方」割引で8ドル/1泊になりました。
現地に着いてからホテルを探しますが、バスディーポには近場のホテルの
案内が出ていますのでそれほど心配はいりません。最悪ホテルがなければ
次の目的地までバスにのってゆけばいいわけですからなんとかなります。
1日ホテル代を含めて30ドル以内という予算、しかもNYではミュージカルを
見るために出費がかさみそうなので、できる限り節約。ホテル代はどうしても
10ドル以内のものを探す必要があります。
18日(4日め)は、市内を一通り見物したあとホテルにチェックイン、2月という
のにアメリカ南部は暑いです。ホテルもクーラーが入ってました。
風呂に入って、夕方まで一眠りしバス泊の疲れも吹き飛びました。
19日(5日め)は、エルパソから別のツアーバスで世界最大級の鍾乳洞、
カールスバッドに行きました。
世界最大級ですから、日本の秋芳洞とは規模が違います。正直、ぶったまげました。
入口からずっと階段の通路があり、終りまで歩いて2時間~3時間かかりました。
通路の終点から、エレベーターで入口まで戻るというルートです。
カールスバッドは世界遺産になっているようです。
日本からエルパソに行く人はそれほど多くはないと思いますが、もしこちらに
ゆく機会があれば、カールスバッドはオススメします。
ツアーでエルパソに夕方戻り、昨日と同じホテルに宿泊しました。
続く
サンフランシスコから2晩続けてバス泊なので、疲れがたまっています。
エルパソでは、ホテルに2泊しました。「地球の歩き方」で探したホテルを
尋ね、部屋が空いているか確認し2泊予約しました。1泊9ドルのところを
「地球の歩き方」割引で8ドル/1泊になりました。
現地に着いてからホテルを探しますが、バスディーポには近場のホテルの
案内が出ていますのでそれほど心配はいりません。最悪ホテルがなければ
次の目的地までバスにのってゆけばいいわけですからなんとかなります。
1日ホテル代を含めて30ドル以内という予算、しかもNYではミュージカルを
見るために出費がかさみそうなので、できる限り節約。ホテル代はどうしても
10ドル以内のものを探す必要があります。
18日(4日め)は、市内を一通り見物したあとホテルにチェックイン、2月という
のにアメリカ南部は暑いです。ホテルもクーラーが入ってました。
風呂に入って、夕方まで一眠りしバス泊の疲れも吹き飛びました。
19日(5日め)は、エルパソから別のツアーバスで世界最大級の鍾乳洞、
カールスバッドに行きました。
世界最大級ですから、日本の秋芳洞とは規模が違います。正直、ぶったまげました。
入口からずっと階段の通路があり、終りまで歩いて2時間~3時間かかりました。
通路の終点から、エレベーターで入口まで戻るというルートです。
カールスバッドは世界遺産になっているようです。
日本からエルパソに行く人はそれほど多くはないと思いますが、もしこちらに
ゆく機会があれば、カールスバッドはオススメします。
ツアーでエルパソに夕方戻り、昨日と同じホテルに宿泊しました。
続く
2008年03月19日
アメリカ貧乏旅行3日め、サンディエゴ
1981年2月16日の夜、アメリカ大陸横断バス「グレイハウンド」にのって
サンフランシスコからサンディエゴに向かいました。
最近日本でも高速バスが普及してきましたが1981年頃はバスの下に荷物
を積むような大きなバスは日本には少なかったと思います。
座席もゆったり、リクライニングもありますから夜寝ながら移動するのも、思った
ほど苦痛ではありません。ただ、ずっとバスに乗っていると尻が痛くなります。
バスに乗って一番困ったことは、運転手の英語が早くて聞き取れないことでした。
8時間のバスの旅ですから、途中休憩が何度かありました。何分休憩します、とか
何時何分に発車します、とか言っていると思いますがまったく分かりません。
仕方がないので、休憩中も寝たふりしてバスの外には出ずほかの乗客が戻って
くるまでバスにじっとしてすごしました。とにかく緊張のバス旅行一日目でした。
朝早く、バスはサンディエゴのターミナルに到着。
サンディエゴ港は、大きな海軍基地があるのでまずは歩いて港に行きカフェテリア
で朝食を食べました。
その後、シーワールドと植物園で夕方までのんびり過ごしました。
サンディエゴはメキシコとの国境にある町、川を渡ればメキシコのティファナです。
温暖な気候ですから、住むには良いところです。後で聞いた話では、アメリカ人の
多くは引退したあとサンディエゴで余生を過ごしたいと考えているようです。
昨日に続き、今夜もバスで移動です。サンディエゴからエルパソに向かいます。
初日は、運転手の英語が分からず、座っているときに尻が痛くて大変でしたが、
2日目は運転手の英語が少し理解出来、途中のトイレ休憩もバスの外で過ごすこと
が出来ました。
グーグルMAPで見る
サンフランシスコからサンディエゴに向かいました。
最近日本でも高速バスが普及してきましたが1981年頃はバスの下に荷物
を積むような大きなバスは日本には少なかったと思います。
座席もゆったり、リクライニングもありますから夜寝ながら移動するのも、思った
ほど苦痛ではありません。ただ、ずっとバスに乗っていると尻が痛くなります。
バスに乗って一番困ったことは、運転手の英語が早くて聞き取れないことでした。
8時間のバスの旅ですから、途中休憩が何度かありました。何分休憩します、とか
何時何分に発車します、とか言っていると思いますがまったく分かりません。
仕方がないので、休憩中も寝たふりしてバスの外には出ずほかの乗客が戻って
くるまでバスにじっとしてすごしました。とにかく緊張のバス旅行一日目でした。
朝早く、バスはサンディエゴのターミナルに到着。
サンディエゴ港は、大きな海軍基地があるのでまずは歩いて港に行きカフェテリア
で朝食を食べました。
その後、シーワールドと植物園で夕方までのんびり過ごしました。
サンディエゴはメキシコとの国境にある町、川を渡ればメキシコのティファナです。
温暖な気候ですから、住むには良いところです。後で聞いた話では、アメリカ人の
多くは引退したあとサンディエゴで余生を過ごしたいと考えているようです。
昨日に続き、今夜もバスで移動です。サンディエゴからエルパソに向かいます。
初日は、運転手の英語が分からず、座っているときに尻が痛くて大変でしたが、
2日目は運転手の英語が少し理解出来、途中のトイレ休憩もバスの外で過ごすこと
が出来ました。
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2008年03月17日
アメリカ貧乏旅行2日め~UCバークレーへ
2月15日にサンフランシスコに到着、初日はツアーで準備されたホテルに
宿泊しました。
16日朝、ホテルのフロントに集合、ツアーガイドさんより3月31日にロスアンジェルス
の××ホテルに戻ってきてください、という連絡事項の説明があり解散。
いよいよ自分だけのアメリカの旅が始まります。
サンフランシスコは西海岸のやや北の方にある涼しい都市です。
ここから南下し、そこから東に旅をします。東南の端フロリダ半島についたら東海岸沿い
を北上し、ニューヨークを目指します。
いろんなところを観光しながら、サンフランシスコからニューヨークまで15日間で行きます。
アメリカ国内をくまなくネットワークしている長距離バス「グレイハウンド」の15日間フリー
パス(15日間乗り放題)で3月2日までにニューヨークに着くようおおよその旅程は考え
てあります。
2月16日は、夜までサンフランシスコで市内観光をして夜行バスでサンディエゴ(到着は
17日朝)に向かう予定です。
バックパックはバスターミナルで預かってもらい、ディパックに貴重品をつめ、サンフランシスコ
の市内観光です。
午前中は、地下鉄にのり一路UCバークレーに向かいます。バークレーはカリフォリニア大学の
中で一番歴史があり、リベラルな校風で知られています。サンフランシスコからは、BARTという
列車にのってゆくと30分くらいで到着します。
別にバークレーに行って何をするわけではありませんでしたが、アメリカの大学キャンパスに対す
るあこがれがあり、その空気を吸いに行きました。
ダスティンホフマン主演の「卒業」は、UCバークレーで多く撮影されていたと思います。
ぐるっとキャンパスをひと歩き、生協でTシャツを買い、校門付近でしぼりたてのオレンジジュース
(注文するとその場でオレンジを絞ってくれます)を飲みました。
その後、市内に戻り市内が一望できるコイトタワーに路線バスを乗り継いで行きました。
その後、ケーブルカーに乗車したり、夕方までサンフランシスコの街を歩きました。
サンフランシスコで有名なゴールデンゲートブリッジやフィッシャーマンズワーフは、初日のバス市内
観光で行きましたので、今日は主に市の中心地めぐりをしました。
夕方、バスターミナルに戻りサンディエゴ行きのバスの時刻を確認し、席を予約しました。
バスの出発まで、ターミナルで簡単な夕食(ハンバーガーかホットドッグばかり食べていたような気がします)
をとり、今日つかったお金を計算。
1日30ドルが支出の目安。50日を1500ドル以内ですごさなければなりません。今日はホテルに
泊まらずバス車中泊なので安く済みました。
夜11時ころ、サンディエゴ行きのバスが出発です。明日の朝にはサンディエゴに到着します。
大きな地図で見る" target="_blank">グーグルMAP
続く
宿泊しました。
16日朝、ホテルのフロントに集合、ツアーガイドさんより3月31日にロスアンジェルス
の××ホテルに戻ってきてください、という連絡事項の説明があり解散。
いよいよ自分だけのアメリカの旅が始まります。
サンフランシスコは西海岸のやや北の方にある涼しい都市です。
ここから南下し、そこから東に旅をします。東南の端フロリダ半島についたら東海岸沿い
を北上し、ニューヨークを目指します。
いろんなところを観光しながら、サンフランシスコからニューヨークまで15日間で行きます。
アメリカ国内をくまなくネットワークしている長距離バス「グレイハウンド」の15日間フリー
パス(15日間乗り放題)で3月2日までにニューヨークに着くようおおよその旅程は考え
てあります。
2月16日は、夜までサンフランシスコで市内観光をして夜行バスでサンディエゴ(到着は
17日朝)に向かう予定です。
バックパックはバスターミナルで預かってもらい、ディパックに貴重品をつめ、サンフランシスコ
の市内観光です。
午前中は、地下鉄にのり一路UCバークレーに向かいます。バークレーはカリフォリニア大学の
中で一番歴史があり、リベラルな校風で知られています。サンフランシスコからは、BARTという
列車にのってゆくと30分くらいで到着します。
別にバークレーに行って何をするわけではありませんでしたが、アメリカの大学キャンパスに対す
るあこがれがあり、その空気を吸いに行きました。
ダスティンホフマン主演の「卒業」は、UCバークレーで多く撮影されていたと思います。
ぐるっとキャンパスをひと歩き、生協でTシャツを買い、校門付近でしぼりたてのオレンジジュース
(注文するとその場でオレンジを絞ってくれます)を飲みました。
その後、市内に戻り市内が一望できるコイトタワーに路線バスを乗り継いで行きました。
その後、ケーブルカーに乗車したり、夕方までサンフランシスコの街を歩きました。
サンフランシスコで有名なゴールデンゲートブリッジやフィッシャーマンズワーフは、初日のバス市内
観光で行きましたので、今日は主に市の中心地めぐりをしました。
夕方、バスターミナルに戻りサンディエゴ行きのバスの時刻を確認し、席を予約しました。
バスの出発まで、ターミナルで簡単な夕食(ハンバーガーかホットドッグばかり食べていたような気がします)
をとり、今日つかったお金を計算。
1日30ドルが支出の目安。50日を1500ドル以内ですごさなければなりません。今日はホテルに
泊まらずバス車中泊なので安く済みました。
夜11時ころ、サンディエゴ行きのバスが出発です。明日の朝にはサンディエゴに到着します。
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続く
2008年03月15日
50日間アメリカ貧乏旅行~1日目
私の人生の中で最初の冒険は、21歳の時バックパックをかついで50日間アメリカに行ったことです。
そのことについて、書き綴ってみたいと思います。
1981年2月15日、成田空港に集合。ダイヤモンドスチューデントツアー(ダイヤモンドビッグ社?)の
企画でした。往復の飛行機と数日間のホテルだけ付いているツアー、あとは参加者それぞれが好きな
ルートで自分の旅を計画するというものです。
成田空港には、同じツアーで50人位集まったでしょうか。大概の参加者は学生だったと思います。みんな
が持っているガイドブックは「地球の歩き方」。自分が各地を旅して集めた情報を投稿し、それが次の
年の地球の歩き方に掲載される。だから、みんな一生懸命役立つ情報を集めます。
成田空港からサンフランシスコ行きの飛行機にのりました。航空会社は忘れましたが、きっと安い航空会社
だったと思います。当時大韓航空が、ソウル~東京経由~サンフランシスコという便を飛ばしていたので、
大韓航空かもしれません。
飛行機に乗ったのは、このときが生まれて初めてでした。飛行機が上昇するとき、下降するときに気圧の
変化で耳の奥がモーレツに痛かったことを覚えています。
10時間くらいのフライトでサンフランシスコに2月15日の朝到着しました。2月15日が二度(成田とサンフ
ランシスコ)あって、得した気分です。
飛行機を降りて入管、英語で旅の目的やら、ホテルなど聞かれます。
このときから、言葉は急に英語だけ。回りはほとんど外国人。内心、自分の決定にたじろぎ、後悔して
います。「何でこんなところにきちゃったんだろう」って。
入国審査を通過し、自分のバックパックを受け取ると、現地のガイドさんが待っています。参加者全員が
無事揃ったところで、バスにのりサンフランシスコの市内観光、その後ホテルにチェックインしました。
バスでゴールデンゲートブリッジ、フィッシャーマンズワーフなど案内してくれました。
今では、日本でも大きな吊り橋が各地にできていますが、当時ゴールデンゲートブリッジの大きさには
本当に驚きました。
続く
そのことについて、書き綴ってみたいと思います。
1981年2月15日、成田空港に集合。ダイヤモンドスチューデントツアー(ダイヤモンドビッグ社?)の
企画でした。往復の飛行機と数日間のホテルだけ付いているツアー、あとは参加者それぞれが好きな
ルートで自分の旅を計画するというものです。
成田空港には、同じツアーで50人位集まったでしょうか。大概の参加者は学生だったと思います。みんな
が持っているガイドブックは「地球の歩き方」。自分が各地を旅して集めた情報を投稿し、それが次の
年の地球の歩き方に掲載される。だから、みんな一生懸命役立つ情報を集めます。
成田空港からサンフランシスコ行きの飛行機にのりました。航空会社は忘れましたが、きっと安い航空会社
だったと思います。当時大韓航空が、ソウル~東京経由~サンフランシスコという便を飛ばしていたので、
大韓航空かもしれません。
飛行機に乗ったのは、このときが生まれて初めてでした。飛行機が上昇するとき、下降するときに気圧の
変化で耳の奥がモーレツに痛かったことを覚えています。
10時間くらいのフライトでサンフランシスコに2月15日の朝到着しました。2月15日が二度(成田とサンフ
ランシスコ)あって、得した気分です。
飛行機を降りて入管、英語で旅の目的やら、ホテルなど聞かれます。
このときから、言葉は急に英語だけ。回りはほとんど外国人。内心、自分の決定にたじろぎ、後悔して
います。「何でこんなところにきちゃったんだろう」って。
入国審査を通過し、自分のバックパックを受け取ると、現地のガイドさんが待っています。参加者全員が
無事揃ったところで、バスにのりサンフランシスコの市内観光、その後ホテルにチェックインしました。
バスでゴールデンゲートブリッジ、フィッシャーマンズワーフなど案内してくれました。
今では、日本でも大きな吊り橋が各地にできていますが、当時ゴールデンゲートブリッジの大きさには
本当に驚きました。
続く